長期の遠征に出ると、当然ながら洗濯物が溜まる。ランドリーに行くタイミングはまちまちだが、少なくとも登山用のズボン(5本)を使い切ったら行かなければならぬ。久々に小松の街に下りて洗濯をする。明日も晴れの予報だが、ここまで5日連続で山登りしているし、大笠山でかなり疲労したことを考えると休憩した方が良さそうだ。ということで15日は加賀にある「深田久弥 山の文化館」に行くことにした。(この日は東尋坊や九谷焼美術館、それに永平寺にも行ったのだが割愛する)

 老後の趣味として「健康にも良くていろいろな場所に行ける」という理由で山登りを始めた。経験も体力もないへなちょこであり、しかも基本的にソロなので安全には気を遣う。できれば道がしっかり整備されていて道迷いがなく、しかも登山者もそこそこ多い山が良いだろうと、当初は百名山を巡った。その判断自体は間違っていないと今も思っている。その後、道中のついでに登った紅葉の秋田駒ケ岳(200名山)がめっぽう素敵で、そこからターゲットを300名山に広げて山と旅を楽しんでいる。

 深田久弥さんについての自分の知識は「百名山の著者として成功した人」というポジと、「代筆スキャンダルで一時文壇を追放された」「2人の女性を二又かけてバレないように行き来していた」というネガの部分だ。正直いうと人としてはどうなのかなという気持ちが大きいので、文化館HPの「世俗を嫌悪し精神の高さを求めて生きるという心を・・」という一言には強烈な違和感があるのも事実だ。

 ただ、百名山の文章については代筆スキャンダルの後の作品であるし、選定までの経緯を書いた序文は、山に誠実に向き合っているように感じる。実際「自分が登った山の中の自分の百名山であり、異論もあろう」という意味の言葉も残しているから、大上段に「これが決定版」と言ってる訳でもない。
 では、実際の文章はどうかというと、その山の特徴と歴史が大部分で、山行記録はごく一部である。しかも一部は「案内してくれた地元山岳会の方々の大きなリュックには、山小屋で頂くごちそうがはいっているのだろう。」などと大名登山かと思わせる文もあったりする。正直いうともう少し自分自身が山と向き合った記述が欲しいとも感じるが、これは字数枠のある連載記事であり、山の紹介という意味合いが大きいとすれば仕方のないことかもしれない。代筆事件があったとはいえ、根っこは文学界の人であり、表現は平易だがきれいな文章だと思う。(もちろん素人の自分が評価できるものではない。)

 とりあえず今は「百名山」だけにこだわってはいないが、ブームの火つけ役になった深田久弥さんの記念館があるなら、敬意を表して訪れるのも良いだろう。

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 山の文化館は、石川県加賀市大聖寺にある。館の規模にしては広い駐車場に車を停め、窓口で入場券(350円)を払うと、いきなり「遠い山形からようこそいらっしゃいました」と声をかけられた。(車のナンバーを見ていたという)そのスタッフのおじさんに館内を一通り案内してもらった。スタッフさんの対応はフレンドリーでとても良い。

 説明は主に「国の文化財である建物のこと」「深田さんのヒマラヤ研究と山形との関わり」「資料室の蔵書について」わかりやすく解説していただき、それが終わると「ではごゆっくり」と事務室の戻っていかれた。

 スタッフさんからは深田さんの素晴らしいところを十分に伺ったが、二股や代筆スキャンダルのことはいっさい触れられなかった。少々意地悪だが展示の中に負の部分がないか丁寧に見たら、年表の中に1行だけあった。

 一通り見学した後、映像を鑑賞し、資料室の本もいくつか手に取ったりして時間を過ごした。深田さんの山への貢献が「百名山」だけではないことや、小さい頃から山登りに耐性のある身体だったことなど新しい知見も得られて、なかなか良いひとときであった。

 少し前に茅ヶ岳に登った時、深田さんが亡くなった場所を通った。今回、その深田さんが11歳の時、初めて山に登ってその魅力に目覚めたという富士写ヶ岳を知った。三百名山にも入っていいない山であり、ここまで意識もしなかった山でもある。そもそも深田さんへの感情も、失礼ながら「こいつぅ、うまく時代に乗ったな、ふふっ」という感じなので思い入れはない。でも、これだけのブームの礎を築いた人に敬意を表し、機会があれば登ってみても良いかなあとも思う。

山の文化館リンク https://yamanobunkakan.com

※山形県立図書館には、日本百名山のオリジナル版(昭和39年発行)の古いバージョンがあって、当時の雰囲気が伝わってちょっといい感じです。

 

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