10月22日(月)
今日はアイスランドのレイキャビクに寄港します。
アイスランドは思い出の地。
もう10年以上前になりますが、家族で夏のひと時を過ごしたのがここアイスランド。
ゴールデンサークル、ラーカギーガルの2つのバスツアー、乗馬ツアー、ホエールウォッチング、パフィンの島、氷河、そしてもちろんブルーラグーン。
天気が良い日ばかりではありませんでしたが、宝石のような日々を過ごした地、それがアイスランド。
前回の思い出が良すぎるので、今回は特に計画を立てずレイキャビクの街をぶらぶらしようと考えておりました。
そんな時に、船内で足を骨折してほとんど外出していない女性を知りました。車椅子の生活なので船から降りることができず1ヶ月。みんなが上陸して観光し、「良かったよー。」などと盛り上がるのを聞いている気分はどうだったでしょうか。骨折は自分の不注意かもしれないけど、代償が大きすぎる気がします。
で、「レイキャビクの街ぶらぶらするだけだから、良かったら一緒に行ってもいいよ。」と声をかけ、今日は女性のエスコートの1日です。
午前8時半あたりから、上陸許可がでて、個人で出かける人とツアーの団体さんが入り乱れて下船していきます。
でも、どうせ10時にならないと店や施設も開かないので、私たちは10時にゆっくりスタート。まずは車椅子を陸に下ろさなければなりません。船のスタッフに声をかけ、3人がかりでゆっくり下ろします。(傾斜がきつく、30m以上の距離があるので、一人では無理。)
個人で出かける人は街までのシャトルバスで行きますが、こちらはタクシー。たまたま待っていたタクシーが6人乗りでしかも車椅子ごと載せる設備付き。難なくタクシーに乗り、ホフディハウスで一度下ろしてもらいます。
ホフディハウス。
何てことない白い小さな建物です。
でも、この建物が現代の歴史を大きく動かした舞台になったのです。
長く続いた東西冷戦時代。その終わりを告げたのが「ゴルバチョフ、レーガン会談」です。そしてその舞台になったのがホフディハウス。当時、ソビエトとアメリカの両方と親交のあったアイスランドが、2人の会談を実現させたのです。
以来、レイキャビク観光の大きな目玉となっています。
ホフディハウスでは写真を撮ってすぐにタクシーに乗り込み、ハットグリムト教会へ。
ここでタクシーのお兄さんとはお別れ。お兄さんは「ここで待とうか?」と言ってくれたけど、「ここからは近くでご飯食べて歩くから大丈夫。」と断り、カードで精算。料金は約3500クローナ。クローナと円はほぼ同じレートなので、およそ3500円ということになります。距離からすると、さすがにアイスランド高いです。
教会は無料ですが、有料でエレベーターに乗り、眺望を楽しむという定番コースがあります。「エレベーターチケット2枚ください。ところで車椅子なんだけど、エレベーター乗れる?」「エレベーターは乗れるけど、その先階段あるから無理かもしれない。だから料金は一人分でいいよ。行ってみないとわからないしね。」
受付のお兄さん、優しいです。
実際に登ってみると、さすがにその先の階段は無理でした。でも、階段を登らなくても、時計の文字盤の隙間から町の眺望が楽しめて、まずまずの成果です。
教会を出て、しばらく中心街を歩き、途中パン屋さんでシナモンロールを買ってパクつき、おみやげ物屋で少し買い物し、最後に遅めの昼食(ビーフハンバーガーとサーモンフライ)を摂り、タクシーで再び船へ。乗船も3人がかりで車椅子を押し上げ、無事に怪我もなくツアーが終了しました。
今日は、ほぼボランティアの1日。
でもいいんです。その分、きっと良いことがあるはずです。
夜9時ごろ、船内放送がありました。
「右舷側に、うっすらとですが肉眼でも見えるオーロラが発生しています。」
すぐにデッキに上がり・・・・
ん?・・・これ?・・・まあ・・ちょっと明るい気も・・・。
これが、良いこと?
うん、きっとこれが良いことなんだな。
「また、オーロラ見においで。」と言ってるんだな。
そして、もう一回来た時に、すごく良いことがあって、
「あの時、オーロラがよく見られなかったから、今のこのすばらしい出来事があるんだな。あの時出て来ないでありがとう、オーロラ!」って叫ぶんだな。
きっと、そうだよね。(泣)
もうオーロラはいいや。次回に良いことがあるもんね。
そう思ってそろそろ寝ようとしていた11時30分、再び「オーロラ出た」の船内放送がありました。急いで防寒装備に身を包み出陣。
北の空の低いところに、なんとなくぼわーっと光が見えています。
雲がじゃまだな・・・。
やっぱりこんなもんか。しょぼい・・・。
そう思っていた次の瞬間、緑色の光の帯(横長)がすーっと伸びてきました。デッキから歓声が上がります。船内放送にも力が入ります。「ただいま、オーロラが右舷5時の方向に見えています!」
しかし、そのオーロラも数分でなくなってしまいました。
最後の最後に肉眼でも光の帯が見えた。
ということは、オーロラを見たということ?
でも、雲の狭間できちんとした光のカーテンは見えなかった。
かなりビミョーな結末。
その後、オーロラに関する船内放送がないまま、朝を迎えることになりました。