きちんと日光で干したシュラフと、全ての服を着込んだことで、快適に眠ることができた。一般的には「寒ければたくさん着込めばいいから暑いよりも対応し易い。」と言えるが、そもそも着込むものが足りない場合、寒さは致命的になる。これを再認識した屋久島の縦走だった。
3月11日、朝6時に起きて朝食。隣で湯を沸かしていたおじさんのガスがなくなり、予備のボンベを貸してあげる。そういえば、ジェットボイルのガスボンベ、まだ一度も交換していない。たしかに使用頻度は低いものの、ジェットボイルという器具は想像以上に優秀なのかもしれない。(でも、シャカシャカ振るとだいぶ減ってきてるので、これが無くなるまでは予備のボンベを持っていくしかないな。)お姉さんはテキパキと準備をして、6時過ぎには出発した。おじさんと自分は特に急ぐ必要もないので、ゆっくりと7時を過ぎてからのスタート。特に約束したわけではないが、一緒に行こうというのが暗黙の了解になっている。
歩いて10分で「縄文杉」。この時間はまだ観光客は誰もいない。そもそも縄文杉までは麓からバスで1時間、そして軌道跡と山道を4時間半歩かなければ辿り着かない。それくらい遠い場所で早朝に縄文杉を独り占め(二人占め)できるのも、高塚小屋に泊まったから。杉そのものにはあまり興味はなかったが、静かに屋久杉の森を味わうのも悪くない。縄文杉で20分ほどゆっくりした後、大王杉、夫婦杉などを見ながら少しずつ高度を下げていく。
8時半、ウィルソン株に到着。このあたりから観光客が少しずつ登ってきた。朝一番のバスに乗ると荒川登山口は5時35分。そこからコースタイム通りに歩くと、8時半にはウィルソン株に着く。見るからに若いグループがコースタイム通りというのも遅い気がするが、写真を撮る時間もたっぷり必要だから、こんなものだろう。それでも人がほとんどいないウィルソン株で、しっかりハートの写真を撮る。(ミーハーな私)
9時には登山道を下りて昔の線路跡に出る。ここまで来ると観光客がたくさんいるので、マスクを着用。高校生のグループがたくさんいるので、きっと修学旅行(あるいはその代替行事)だろう。高校時代に屋久島に来れるなんて、幸せな子供たちだな。でも、彼はは「USJが良かったぁ~・・・。」と思っているかも。
まだレールが残っている線路の道を、ここからは若干速度を上げて歩く。元々は木材を運ぶ貨車が走る所なので、傾斜がほとんどない。歩きやすいことこの上なし。時々ガイドに連れられたグループが来ると、その時だけマスクを着用。
今日のゴールは荒川登山口ではなく、白谷雲水峡のバス停。途中の「楠川分かれ」から再び山道に入る。(入り口を見逃しそうになった。ここは注意が必要。)山道に入るとすぐに登りになる。今日は下るだけと思っていたので、かなり厳しい。加えて、昨日の長距離が体にきているようで、なかなか足が進まない。これは同行するおじさんも同じようで、二人ではあはあ言いながらゆっくり進む。ようやく最高点の「辻峠」に着くと、さらに登らないと辿り着かない「太鼓岩」に行く気力もない。少し休んで目的地に向かう。
ここに来るまで知らなかったが、白谷雲水峡は有名な観光地で、杉の巨木がたくさんあるようだ。おじさんによれば「屋久杉ランドと似ている感じかなあ。」とのこと。屋久島らしい苔の森が美しい場所である。いくつかの周遊コースがあり、半日くらい楽しめそう。でも、疲れている二人は最短距離で下る。(今思えば頑張って見てくれば良かったと後悔しているが、その時は早く休みたいの一心であった。)
12時、ようやくバス停に到着する。これで全ての山行が終了した。振り返れば初心者にはなかなかタフなルートだった。なんとか乗り切れたのは、たまたま一緒になったおじさん、お姉さんの二人の存在と、好天に恵まれたことが大きい。仲間と天気の神様に感謝しかない。
バスの出発は13時45分。それしかないと思っていたが、13時のバスが存在していた。自分が持っているバス時刻表は「屋久島交通」のものだが、「まつばんだ交通」のバスがここに乗り入れていた。料金はどちらのバスでも同じ550円。これで宮之浦港に下ることにする。そんな話をしていたら、お姉さんがバス停に到着した。太鼓岩にも登り、雲水峡の巡回コースもしっかり歩いてきたという。彼女のような体力が欲しい。
飛行機で帰るおじさんとは、宮之浦港でお別れ。16時発のトッピーに乗り込み、19時過ぎに鹿児島港に戻る。鹿児島港でお姉さんに最後の挨拶をして、3日間放置していた車に戻った。
車は無事だったが、うっすらと火山灰が積もり、かなり汚くなっていた。