北海道で必ず行ってみたい所がいくつかありますが、

「塩狩峠」はその中でもナンバー1と言える場所です。

塩狩峠ってどこ?

塩狩峠に何があるの?

ちょっとマニアックな場所ですが、一部のファンにとっては外せない場所なのです。

そう、三浦綾子の小説「塩狩峠」の舞台になった場所です。

 

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塩狩峠で実際にあった出来事

 1909年(明治42年)2月28日、官営鉄道天塩線(現・JR北海道宗谷本線)の最終急行列車。
 午後8時過ぎに蘭留駅を出発した8100形蒸気機関車が牽引する客車のうち、最後尾の客車の連結器が塩狩峠の頂上付近で外れてしまいます。

 たまたま乗り合わせていた鉄道院旭川鉄道運輸事務所の庶務主任、長野政雄がデッキ上のハンドブレーキを引いても客車は止まらず、たくさんの乗客を乗せた客車はどんどん加速していきます。

 ついに長野政雄は線路に飛び降りて自身の体を車輪の下に差しだし、自分の命と引き換えにして乗客を救ったのです。

長野政雄の行為は衝撃的でしたが、
実際には自分の意志による自己犠牲の行為だったのか、自殺だったのか、
それとも単なる転落事故だったのかは明らかになっていません。

長野政雄氏殉教の石碑 塩狩駅のすぐそばにあります

三浦綾子の小説「塩狩峠」

三浦綾子は、1963年、朝日新聞社による懸賞小説公募に、小説『氷点』を投稿し当選。当時としては破格の懸賞金1000万円を獲得しています。小説は1964年12月9日より朝日新聞朝刊に連載を開始し、一大ブームを起こしました。連載後に出版された書籍も大ベストセラーになっています。

 懸賞の当選時は、「北海道の普通の主婦が大賞受賞」と大きな話題になりましたが、三浦はその後も次々と話題作を世に出しています。

クリスチャンだった長野の行為を、自身もクリスチャンである三浦綾子が小説の形にまとめたのが「塩狩峠」です。

しかし、小説を出版したのは1968年。
長野の死から60年が過ぎています。

長野政雄の人となりを知る人もなく、残された資料も少ないことから、
小説は事故を題材にした三浦のオリジナルと考えて良いでしょう。

それでも、数少ない事故や長野のクリスチャンとしての活動の資料を生かし、
生き生きとした人物像を作り上げています。

小説は、ほんとに泣けます。

青春時代に読んだ中で、号泣した数冊の中の一冊です。

 

塩狩峠の今

そんな思い出の一冊の舞台ですから、

一度は訪れたい場所だったのです。

その夢が叶いました。

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塩狩駅 遠景

塩狩駅は、無人駅です。

中は普通の駅舎です。

この駅を日常で使う人は、ほとんどいないようです。

訪れるのは観光客がほとんど。

旅のノートがありました。

誰もいない駅舎で、少し思いを書いてみます。

列車、着ました。乗降客は、ゼロ。

この先で、長野さんが亡くなったのね。

自分だったら・・・できません。

駅のそばには「塩狩峠記念館」があります。

三浦綾子の自宅を移設して作ったものだそうです。

1時間ほど、じっくり見てきました。(館内は撮影禁止)

詳しくは、和寒町ホームページで

こちらのホームページで、塩狩峠の位置もわかります。

 

足を延ばして三浦綾子文学館へ

こちらは旭川市内にあります。

文学館は、三浦綾子の作品全般について展示されていますが、

デビュー作「氷点」の舞台に建てられているので、

「氷点」の舞台がご近所に多数あります。

 

それらを巡るのも、ファンにとっては楽しみでしょう。
(私は、この日の午後には札幌で別の見学があるのでパス。)

こちらは、塩狩峠記念館に比べてたくさんの人が来館していました。

三浦ファンの聖地ですからね。

中はそんなに広いわけではありませんが、

三浦綾子の生涯がよくわかります。

小さなカフェもあります。

時間があれば、読書スペースで一冊読んでもいいです。
(これをするは少ないでしょうね。)

撮影禁止なので、こちらも詳しくはホームページで
確認してください。

三浦綾子文学館ホームページ

 

まとめ

三浦綾子のデビュー作である「氷点」の舞台に立つ、
三浦綾子文学館。

代表作のひとつである「塩狩峠」の舞台である
塩狩駅、そして塩狩峠記念館。

どちらも三浦綾子のファンにはたまらない場所です。

あまりファンではないという人も、この機会に作品に触れてはいかがですか。

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