4月17日の朝です。おはようございます。

浄土ヶ浜の日の出

 昨夜は浄土ヶ浜の駐車場でお泊り。4時半に目が覚めて、カメラを手に急いで浜に下りる。
すでに朝日を写真に収めようと待ち構える4人にあいさつし、日の出を待つ。

 おお、出てきた出てきた。なかなかいい写真が撮れて満足。

コーヒーでひとり乾杯!

コーヒーを飲んだら駐車場へ。大変というほどでもないが、そこそこの坂道を戻る。

海沿いに少し歩き
車道(一般車通行止め)を登り
遊歩道が見えてきた
だらだらと登り
さらに登り
最後に階段を登り
よし、ホテルが見えた。
僕のホテルはこっち

 今回の旅の目的は「復興の様子を見る」ということ。浄土ヶ浜を早々に立ち、田老に向かう。

 もう30年も前の話だが、職員旅行で田老に来たことがある。
当時はできたばかりの「田老観光ホテル」に宿を取り、ホテルの方(社長さんだったような記憶が・・)の話を聞いた。
日本の「万里の長城」と呼ばれていたこと。10mの高さがあること。それが2重になっていること。津波警報が出たら堤防の門を閉じるということ。
「堤防より海側の家はどうなるんですか?」「津波が来たら家を捨てて、堤防の内側に非難します。」
数軒の家を見捨てるという考えに、少なからずショックを受けたことを思い出す。
ついでだが、ホテルの夕食はうまかった。特にウニが。

 そんな思い出があったから、あの日、太平洋側の大変な状況をラジオで聞きながら、(停電でテレビは×)「田老だけは助かっただろう。」と勝手に思い込んでいた。いくら津波が大きくても所詮は水。水が乗り越えることがあっても堤防そのものが破壊されるなんて想像もしていなかった。

実は今回の旅の一番の目的は「田老を見る」ことにあった。

6時すぎには田老に到着。道の駅(まだ店は閉まっている)に車を停めて、町を歩く。

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なにもない広い土地には野球場ができていた。浸水した地域に家はなく、公共施設を展開させるようだ。
堤防を上ると、そこはまだ工事中の世界。7年という時間は結構長いはずだが、工事はまだ半分も終わっていないように感じる。早朝だったこともあり、人はほとんどいないが、昼になると工事の音が響くのだろう。その環境がすでに7年続き、これからも続く。

補強工事が終わった防潮堤(陸側)から、破壊された堤防と新しい堤防(海側)を臨む
漁業者用施設はプレハブのまま
30年前にお世話になったホテルは、震災遺構として保存されます。

ここに住んでいた人は、今どこにいるのだろう。

高台には新たな住宅地

そうか、やはり高台に移動したんだ。
せめてみなさんの住居がきちんとできていてほしい。

田老を後にし、海岸沿いを北上する。

次に目にとまったのは、田野畑村の堤防。こちらも震災遺構として残されるという話。

遠くのがれきの山が、破壊された堤防跡
すばらしい堤防ができています。(堤防上が道路)

 最後は久慈。地下水族館「もグランピア」。こちらは石油貯蔵施設の掘削した穴を活用した水族館で、津波の影響を受けている。奇跡的に助かったウミガメが戻り、平常の営業をしている。さかなくんも何度か訪れていろいろな協力をしていることでも有名なところ。特にすごい興味があるわけでもないが、入場料を出して見ることも復興の協力と考え、見てきた。

 石油貯蔵の説明もあり、小さな水族館だが意外に楽しめた。入館料は大人700円。

もぐらんぴあ
さかなクン、絵がうまい!

もぐらんぴあの詳細はこちら

復興の様子を訪ねる旅はここまで。

久慈では「あまちゃんのロケ地」を回り、帰りは盛岡と仙台の博物館に立ち寄り、合計4泊5日の旅は終わり。

次回、この地を訪ねるのは、7年後としておこう。

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