現在、コロナウイルスによる自主的自粛措置継続中で、あまり遠くにお出かけできません。この期間を利用して、過去に行った世界遺産について書いてみようと思います。この旅は、かつてドイツに勤務していた2005年5月に行ったものです。 今回は番外編です。なぜ番外編かと言うと、世界遺産に認定されなかったからです。それでも、「ほぼ世界遺産に近い」と言える場所であることは間違いありません。

マールブルグ 2004,5,16

 「ハンガリーの皇女エリザベートは、1207年生まれ。幼いころにチューリンゲンのルードヴィッヒ伯爵と婚約し、伯爵の居城であるヴァルトブルグ城で成長した。14歳で結婚、しかし20歳になった時、夫は十字軍の遠征中に亡くなってしまう。城から追放されたエリザベートはマールブルグに移り住んだ。ここで彼女は、貧困者の収容施設を建て、彼らに施し、世話をすることで余生を送った。残念ながら24歳で亡くなると、1235年には聖人に列せられ、聖エリザベート教会が建立された。」
このエリザベート教会は、世界遺産の申請をしたものの、どうやら認定されないという事前の情報から申請を取りやめにしたという教会です。世界遺産に順ずる価値があると言っていいでしょう。

 5月15日(前日)、朝から父と母は庭仕事。生垣を電動バリカンで切り、伸びて道路にかぶさっていた木の枝を切り、芝刈りをし、マリーゴールドの苗を買ってきて植え、街まで買い物に出かけ、ちょっと忙しい一日でした。娘1は遊びに来た友達と5時まで過ごし、娘2は姉の友達と遊んだ後、父と一緒に学校に行って畑の苗に水遣り。5時半には、国際交流ディレクターのNさんに招待されて、バルコニーつきのかっこいいアパートで食事。帰って来たのが11時でした。

 5月16日、娘たちは朝9時起床。前の日が忙しかったので少々遅い起床になりました。父と母は昨日の庭仕事で筋肉痛。今日はあまりあせらず、ゆっくりスタートします。

マールブルグの街中。
ラートハウス(市庁舎)。
何気ない街歩きも楽しいもんです。

 マールブルグは、フランクフルトの北およそ90キロ。高速道路で1時間弱の行程です。午前10時出発。ちょっと心配した天気も徐々に回復し、見事な晴天の中11時に目的地に到着しました。マールブルグは、丘の上に城があり、その麓に古い街が残る歴史ある街です。さっそくエリザベート教会へ。しかし、ちょうどミサが始まる時間で、見学できる雰囲気ではありません。仕方なく、最初にマル クト広場周辺を散策することに。車を駐車場に入れ、少々歩いた後、エレベーターで丘の中腹まで登り、すぐにマルクト広場に到着。古い市庁舎(こちらではラートハウスと呼ぶ)や木組みの街並みは、典型的なドイツの風景です。日曜日にもかかわらず、店が一軒開いていて、絵はがきと母のバックを購入しました。(バックというより、かごだな。)どうやらこの店は、案内所を兼ねているので特別に日曜も開けることができるようです。

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 少しだけ街を歩いてアイスクリームを食べ、(みんなで3.6ユーロ)またエリザベート教会に戻ってきました。ちょうどミサが終わったところで今度は中に入れました。教会そのものはそれほど派手ではないけれど、エリザベートにまつわる数々の彫像や祭壇があります。特に、黄金の祭壇(中にエリザベートの聖遺物、つまり骨か何かの一部が入っている。よく考えると恐ろしい。)とステンドグラスは見事でした。今日はここだけしか見ない予定なので、ゆっくり時間をかけて見学です。

もう一歩で世界遺産だったエリザベート教会。
この中に聖遺物?
ステンドグラスが売りであるとな。

 こちらの教会は、聖人の遺物を祀ることでいわゆる御利益がある教会になるそうです。そういえばケルンの大聖堂は、キリストが生まれた時に祝福に来た3賢人の聖遺物があるというのが売りになっていました。新しい教会を建てる時には、何かしらの遺物を探してくるか、分けてもらうかしなければなりません。でも、分ける方は聖なる力が落ちるかもしれないので、おいそれとは分けてくれません。場所によっては「農夫が土地を耕してたら聖遺物が出てきた。そこで教会を建てた。」という根拠の曖昧なものもあります。キリスト教の世界も大変みたいです。エリザベート教会は、もちろんエリザベートが聖人なので、その遺骨が聖なるものというわけです。ちょっとなまなましい話です。

 見学後、教会をバックに写真撮影。そして、マールブルグの街を後にするのでした。途中、昼食のためにおなじみマックに入り、チーズバーガーとチキンサラダを食べて帰ってきました。家に到着したのが3時半。あまり疲れない小さな旅でした。

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